2010.07.24 Saturday
旅の風景 スワヤンブナートの瞳4
冬のヒマラヤを自転車で走った。そんな旅は体が悲鳴をあげる。正直、命がすり減る。それとは反対に、魂が変わってくる。ゆで卵の殻をむいたようにツルツルとなって輝き始める。これまでの世界とは別ものに見え、すごみが出る。透徹した静けさの中で、世界と自分が呼応する。不思議な高揚感でこころが満たされる。
命をつなぎ留めるだけの営みは、1ヶ月すれば体がボロボロだ。ヒマラヤの峠を越え、長旅族の楽園カトマンズで弱った体を休めていた。
昼食を済ませ、日本人宿の階段を素足で上がると、カトマンズの街が見晴らせる。屋上には吹きさらしの屋根にベンチがあり、日本のオジさん、ゲンさんが座っていた。
ちらりと見た目は鋭かったが、すぐに人懐っこい顔に変わった。どこかで見覚えがある。
“あ、フーテンの寅さんだ”と思った。
さすがに腹巻はしていないが、着こなしが荒っぽくて、つやっぽい。話をすると不思議な教養があった。
話はなぜか正義の話から執着の話となっていた。
スワヤンブナートの瞳1 → 旅の風景16
スワヤンブナートの瞳2 → 旅の風景17
スワヤンブナートの瞳3 → 旅の風景18

ヒマラヤの峠越え
「ゲンさんは“執着を捨てよ”というけど、ほんとに執着とか欲望とか捨てたら、それはもう自分ではなくなってしまうような、なんか綿菓子のような存在です。自分が自分でなくなっては、もとも子もないというか、そんなのいやだし、おかしいです」
ゲンさんは一瞬目が輝いて、
「学校ではしきりに個人主義を教えるがな、あれは誤りだ。そう思え。たとえば、20年前に自分と今の自分とが同じと思えるか?そう思う者は少ねぇ。流れゆく時間が時代を変え、人も変えてゆく。人は信念とか信条とかいっても、揺れ動き、移ろいでゆく。あてになんねぇ。問題はな、そうでないもの、滅しないものを感じれるかだ。それで大きく道がかわる」
「えぇ、滅しないものって?」
「揺れ動いたり、移ろうことがないもの。人間の信念とか信条とか、千年単位で見れば、まるで別物だ。そうでないもの。感覚器官が雑音ばかりを捉えていると、まるでだめだ。感じ取ることができなぇ。微細なようで、圧倒的なエネルギーでもあり、存在そのものというか、そこんところは、言葉は限界がある。おぉ、君は自転車で荒地を走るから、なんとなく分かんねぇか?」
私はつい2・3日前まで極寒地獄でチャリをこいでいたから、忘れるわけがなかった。
「そういえば、無人地帯を2・3日走り続けると、何かが変わります。肉体がヒイヒイいい出して、命がともし火ほどに思えて、腹が据わってきて、こころがどっしりとして来ます。満たされるというか、照らされるというか、えもいわれぬ幸福感があります」
「おぉ、それだ。分かってるじゃねぇか。“それをよりどころとせよ”とインドの古典はいう。それは人間がある以前から変わることがない。感覚器官が偽物ばかり捉えていると、感じ取ることが出来ねぇ。普通は姿勢を正し、呼吸を制御して感覚器官を切り離す。命掛けで荒野をチャリで走らなくてもいい」
「そんな風に冷やかさなくたって。でも、そう解説されると、まんざらじゃないです」
「おぉ、何もならねぇのに、命がけでそんなことする奴は中毒だ。命がけ中毒、サバイバル狂信者だ。それでしか、滅しないものと出会えないと思って、ねぇか?」
ゲンさんは普通の顔でいった。
「また、きついことを、言いますね」
「おぉ、許せ、老婆心だ」
「あの乾き切っていて、とこまでも孤独で、それでいて満ち足りていて、透徹した感覚がね、たまらんのです。それでついついです」
私は照れながら解説した。
「まぁ、ほどほどにな」
ゲンさんはなだめるように語った。
私はゲンさんの言葉をかみ締めていた。でも、この現代にインドの古典的な生き方をするのは妙だ。そもそも、稀有な体験が違うレベルに行けても、日常はただの日常だ。ある程度息を殺し、自分を押さえる日々、その区別に違和感を感じて尋ねた。

パクタプルの広場で
「なら、日常の行為をどう考えたらいいのですか?正直、時には何もかもを投げ出したくなります。そうならないために、このチャリの旅は息継ぎです。窒息しないために、日常に押しつぶされないために、それなのにゲンさんは重苦しい日常の中に輝きがあるって?」
「おぉ、だから奴らの個人主義はダメだ。そんなもん信じちゃなんねぇ。インドの古典ではな、自己を三つの成分に分ける。三つの成分、知ってるか?」
「いいえ、全く」
「おぉ、なら説明するが、一番下は無知だ。世の中の道理や仕組みが分かんねぇと、猜疑心と劣等感が先に立つ。それが心を覆ってしまい、憎しみや怒りが沸き起こる。その中身は迷いと不安が作る乱れだ。相手にもその乱れが伝わり、またそれがはね返ってくる。悪い循環が止まることがない。無知は本当に恐ろしい。回りを見渡せばいるだろう?そして、その次は執着だ」
「執着?」
「おぉ、これは根深い。君は”日常がいやで仕様がない”といった。これも執着だ。“自分はこんなことをするために、いるのではない。もっと役に立って、カッコ良くて、そんなことのためにある”と思っている。そういう執着だ。違うか?」
ゲンさんはニヤリとした。
「いや、それって、誰でも抱いてることだし、当たり前のことだし、逆にそれが無い人っているのかなぁ」
私はしどろもどろで反論した。
「おぉ、個人攻撃じゃねぇ。自覚はあるのかって聞いている」
「まあ、それが執着だという自覚は無かったですが、でも、自分がやらなくっても、誰かがやると思うと、意欲もわかないし、一個の歯車じゃ、つまんないというか、そこんとこ、どう考えたらいいかって?」
「おぉ、ワシらひとりひとりは部分でしかねぇ。総理大臣だってそうだ。最高権力者なのに、ひとつの取り決めさえ覆せねぇ。何とか基地のことだ。過信なのか勘違いなのか、まるで強くねぇ」
「そうかなぁ、そんなもんかなぁ」
「この社会をひとつの身体に例えると、君は一本の筋肉だ。小指の筋肉としよう。小指が動かなくっても、当面はやって行ける。でもな、あんまり働かないとどうなる?他の筋肉はどう感じるか?」
「そりゃ、良いふうには感じないです」
「この世界は行為でつながっている。夢想しても何も変わんねぇ。だから肉体を持つ以上、行為をおろそかにできねぇ。インドの古典はいう。君の役割は役割でしかない。本質とは違う。だから、部分としての両分をこなせと」
ゲンさんは丁寧に説明してくれた。
それでも私は納得できなかった。
「でも、役割は役割でしかないって言われても、実際に意思をもって向わないと行為にならないし、その意思を決めるのは自分自身だし、」
「おぉ、それが学校で教えるデタラメ個人主義だ。その意思は無いものと思え。そんな意思は泡だ。揺れ動き移ろいでゆく。泡の中は執着だ。そんなもん信じるな」
ゲンさん節の再来だ。
私は少しへりくだって
「えーと、すいません、もう少し分かりやすくお願いします」

スワヤンブナート カトマンズ
急にゲンさんのトーンが下がって、優しくなって、
「おぉ、執着と自己とを混同してはいねぇか?そこんとこを良く考えてみねぇ。少し前に、カッカしてたこと、憎しみで夜も寝れなかったこと、それは本当に自分か?日々の流れゆく感情はただの泡ではないのか?まあ、人のことはいえねぇ、どうもこの話になると、学校で教えられたことが今でもムカムカしてな。彼らのお陰でどれだけのこの人生遠回りを強いられたか。今でも行ってドツイてやりてぇ。まあ、これが一番下の無知の自己だ」
ゲンさんの声がか細くなっていた。
私は励ますように
「執着と無知はひとまず置いて、三つ目は?」
「おぉ、最後は純真だ。これは何ともぶつからねぇ。素直なこころだ。憎しみや怒りなど透過してしまう。平等に根ざしている。執着をも乗り越えている。だだ、幸福志向と知識欲が残っているという。けどな、インドの古典はこれにも頼るなという。深いだろうが。このレベルは欧米流の理性とか理念に近いのかも知れん」
「と、いうと」
「おぉ、これも滅して行くからな、そうではないもの、揺れ動かないものに頼れという。移り行くものを自分の本質にするなと」
そこがどうもしっくり行かない。最後の核心部分が薄ぼんやりしている。ゲンさんは荒野をチャリで走っている感じが近いというけど、それは思考の外だし、はっきりとその部分を聞き出したかった。
「でも、滅しないものって、一体何なんですか?インドの古典は、いい線まで行くんですが、最後の最後がぼやけていて、しっくり来ないというか、それで何回か投げ出していて。そこんところ、最後までしっくり納得できるものが、何なのかって?」
「おぉ、最後の最後が解らんだと?」
ゲンさんの声が柔らかくなって、小さくなって
「実はここだけの話だ。ワシも最後の最後を納得してるわけじゃねぇ。最後の詰めは正直空白だ。ワシのレベルではな。でもな、そこんとこは神さんの裁量だと思っている。気の利いた取り計らい。君もそう思え。ワシらが退屈しねぇようにな。おぉ、ちょっと一杯やりたくなってきた。君は付き合えるか?」
「はい、アルコールは行ける口です」
「じゃあ、部屋に戻って、ロキシー持ってくる。取っておいてたやつがある」
話に夢中になっていて、真上にあった太陽が西の丘にかかろうとしてた。街のにぎわう音はこの屋上までくると丁度いい雑音に変わっている。
「まあ、一杯やれ」
ゲンさんはネパール焼酎 ロキシーの瓶とコップをもって返ってきた。
「でも、神さんが仕組んだ謎?退屈しない為に?そりゃぁちょっと、あまりにいい加減すぎませんか?」
「おぉ、そう来ると思ってたぜ」
ゲンさんにいつもの押しの強さはなかった。
「逆にな、正解があったら、窮屈だと思わねぇか?皆が自分の人生に快諾して、すきっりしてて、迷いがなくて、そんな世界、想像つかねぇだろう。そりゃ、気持ち悪いぜ。それよか、人々が悩み、もがき、切磋琢磨して、そこから沸き上がるどろどろした活気だ。だから、人生おもしれぇんだ。だから、世界が杓子定規じゃ、つまらねぇろ。最後の最後はブラック・ボックスだ。人間は想像力豊だからな、退屈しねぇようにしたんだ。それを見込んで仕組んだのさ。誰か知らなぇけどな」
「最後の最後はブラック・ボックスですか?まいるなぁ。でも、ゲンさんがどっしりと構えていられる訳をちょっと分かったような、そんな気がします。なんか、うまく逃げられたなぁ」
「おぉ、うまく逃げただと?そう来たか。そうか。そりゃぁ、残り時間の違いもあるか」
「残り時間の違いって?」
「おぉ、オレはもうリタイヤ組だ。傍観者だ。悪いがな。君のように、前線でナタを振ることもない。だから、こうやって、日なたぼっこだ。あと死ぬまで日なたぼっこ」
「えぇ、ほんとに?それで悔いはないのですか?」
「性格悪りぃな、日本のチャリダは。避けられないことを嘆くものではない。さっき、君に伝えたところだ」
「覚悟ですね。そうなんだ」
「おぉ、何を納得している」
「覚悟ということ」
少し沈黙があった。
「覚悟した目をしているだろうが?」
ゲンさんはそういって、遠い方向に目をやった。
「何のことですか?」
私には見当が付かなかった。
「スワヤンブナートの仏塔だ。死ぬまでにはあんな目つきになりたい」
ゲンさんは少し寂しそうにいった。
「はい、いい目です」
それっきり、ふたりとも黙りこんでしまった。日本人宿の屋上は、爽やかな風が流れている。カトマンズ盆地は夕陽が西の丘に掛かり、ちょうどスワヤブナートの丘を赤く照らしている。夕陽を見ながら、ふたりの男が、だまって酒を組み合わしていた。
関連記事 → 旅の風景12 ペルセウス座流星群4
命をつなぎ留めるだけの営みは、1ヶ月すれば体がボロボロだ。ヒマラヤの峠を越え、長旅族の楽園カトマンズで弱った体を休めていた。
昼食を済ませ、日本人宿の階段を素足で上がると、カトマンズの街が見晴らせる。屋上には吹きさらしの屋根にベンチがあり、日本のオジさん、ゲンさんが座っていた。
ちらりと見た目は鋭かったが、すぐに人懐っこい顔に変わった。どこかで見覚えがある。
“あ、フーテンの寅さんだ”と思った。
さすがに腹巻はしていないが、着こなしが荒っぽくて、つやっぽい。話をすると不思議な教養があった。
話はなぜか正義の話から執着の話となっていた。
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スワヤンブナートの瞳2 → 旅の風景17
スワヤンブナートの瞳3 → 旅の風景18

ヒマラヤの峠越え
「ゲンさんは“執着を捨てよ”というけど、ほんとに執着とか欲望とか捨てたら、それはもう自分ではなくなってしまうような、なんか綿菓子のような存在です。自分が自分でなくなっては、もとも子もないというか、そんなのいやだし、おかしいです」
ゲンさんは一瞬目が輝いて、
「学校ではしきりに個人主義を教えるがな、あれは誤りだ。そう思え。たとえば、20年前に自分と今の自分とが同じと思えるか?そう思う者は少ねぇ。流れゆく時間が時代を変え、人も変えてゆく。人は信念とか信条とかいっても、揺れ動き、移ろいでゆく。あてになんねぇ。問題はな、そうでないもの、滅しないものを感じれるかだ。それで大きく道がかわる」
「えぇ、滅しないものって?」
「揺れ動いたり、移ろうことがないもの。人間の信念とか信条とか、千年単位で見れば、まるで別物だ。そうでないもの。感覚器官が雑音ばかりを捉えていると、まるでだめだ。感じ取ることができなぇ。微細なようで、圧倒的なエネルギーでもあり、存在そのものというか、そこんところは、言葉は限界がある。おぉ、君は自転車で荒地を走るから、なんとなく分かんねぇか?」
私はつい2・3日前まで極寒地獄でチャリをこいでいたから、忘れるわけがなかった。
「そういえば、無人地帯を2・3日走り続けると、何かが変わります。肉体がヒイヒイいい出して、命がともし火ほどに思えて、腹が据わってきて、こころがどっしりとして来ます。満たされるというか、照らされるというか、えもいわれぬ幸福感があります」
「おぉ、それだ。分かってるじゃねぇか。“それをよりどころとせよ”とインドの古典はいう。それは人間がある以前から変わることがない。感覚器官が偽物ばかり捉えていると、感じ取ることが出来ねぇ。普通は姿勢を正し、呼吸を制御して感覚器官を切り離す。命掛けで荒野をチャリで走らなくてもいい」
「そんな風に冷やかさなくたって。でも、そう解説されると、まんざらじゃないです」
「おぉ、何もならねぇのに、命がけでそんなことする奴は中毒だ。命がけ中毒、サバイバル狂信者だ。それでしか、滅しないものと出会えないと思って、ねぇか?」
ゲンさんは普通の顔でいった。
「また、きついことを、言いますね」
「おぉ、許せ、老婆心だ」
「あの乾き切っていて、とこまでも孤独で、それでいて満ち足りていて、透徹した感覚がね、たまらんのです。それでついついです」
私は照れながら解説した。
「まぁ、ほどほどにな」
ゲンさんはなだめるように語った。
私はゲンさんの言葉をかみ締めていた。でも、この現代にインドの古典的な生き方をするのは妙だ。そもそも、稀有な体験が違うレベルに行けても、日常はただの日常だ。ある程度息を殺し、自分を押さえる日々、その区別に違和感を感じて尋ねた。

パクタプルの広場で
「なら、日常の行為をどう考えたらいいのですか?正直、時には何もかもを投げ出したくなります。そうならないために、このチャリの旅は息継ぎです。窒息しないために、日常に押しつぶされないために、それなのにゲンさんは重苦しい日常の中に輝きがあるって?」
「おぉ、だから奴らの個人主義はダメだ。そんなもん信じちゃなんねぇ。インドの古典ではな、自己を三つの成分に分ける。三つの成分、知ってるか?」
「いいえ、全く」
「おぉ、なら説明するが、一番下は無知だ。世の中の道理や仕組みが分かんねぇと、猜疑心と劣等感が先に立つ。それが心を覆ってしまい、憎しみや怒りが沸き起こる。その中身は迷いと不安が作る乱れだ。相手にもその乱れが伝わり、またそれがはね返ってくる。悪い循環が止まることがない。無知は本当に恐ろしい。回りを見渡せばいるだろう?そして、その次は執着だ」
「執着?」
「おぉ、これは根深い。君は”日常がいやで仕様がない”といった。これも執着だ。“自分はこんなことをするために、いるのではない。もっと役に立って、カッコ良くて、そんなことのためにある”と思っている。そういう執着だ。違うか?」
ゲンさんはニヤリとした。
「いや、それって、誰でも抱いてることだし、当たり前のことだし、逆にそれが無い人っているのかなぁ」
私はしどろもどろで反論した。
「おぉ、個人攻撃じゃねぇ。自覚はあるのかって聞いている」
「まあ、それが執着だという自覚は無かったですが、でも、自分がやらなくっても、誰かがやると思うと、意欲もわかないし、一個の歯車じゃ、つまんないというか、そこんとこ、どう考えたらいいかって?」
「おぉ、ワシらひとりひとりは部分でしかねぇ。総理大臣だってそうだ。最高権力者なのに、ひとつの取り決めさえ覆せねぇ。何とか基地のことだ。過信なのか勘違いなのか、まるで強くねぇ」
「そうかなぁ、そんなもんかなぁ」
「この社会をひとつの身体に例えると、君は一本の筋肉だ。小指の筋肉としよう。小指が動かなくっても、当面はやって行ける。でもな、あんまり働かないとどうなる?他の筋肉はどう感じるか?」
「そりゃ、良いふうには感じないです」
「この世界は行為でつながっている。夢想しても何も変わんねぇ。だから肉体を持つ以上、行為をおろそかにできねぇ。インドの古典はいう。君の役割は役割でしかない。本質とは違う。だから、部分としての両分をこなせと」
ゲンさんは丁寧に説明してくれた。
それでも私は納得できなかった。
「でも、役割は役割でしかないって言われても、実際に意思をもって向わないと行為にならないし、その意思を決めるのは自分自身だし、」
「おぉ、それが学校で教えるデタラメ個人主義だ。その意思は無いものと思え。そんな意思は泡だ。揺れ動き移ろいでゆく。泡の中は執着だ。そんなもん信じるな」
ゲンさん節の再来だ。
私は少しへりくだって
「えーと、すいません、もう少し分かりやすくお願いします」

スワヤンブナート カトマンズ
急にゲンさんのトーンが下がって、優しくなって、
「おぉ、執着と自己とを混同してはいねぇか?そこんとこを良く考えてみねぇ。少し前に、カッカしてたこと、憎しみで夜も寝れなかったこと、それは本当に自分か?日々の流れゆく感情はただの泡ではないのか?まあ、人のことはいえねぇ、どうもこの話になると、学校で教えられたことが今でもムカムカしてな。彼らのお陰でどれだけのこの人生遠回りを強いられたか。今でも行ってドツイてやりてぇ。まあ、これが一番下の無知の自己だ」
ゲンさんの声がか細くなっていた。
私は励ますように
「執着と無知はひとまず置いて、三つ目は?」
「おぉ、最後は純真だ。これは何ともぶつからねぇ。素直なこころだ。憎しみや怒りなど透過してしまう。平等に根ざしている。執着をも乗り越えている。だだ、幸福志向と知識欲が残っているという。けどな、インドの古典はこれにも頼るなという。深いだろうが。このレベルは欧米流の理性とか理念に近いのかも知れん」
「と、いうと」
「おぉ、これも滅して行くからな、そうではないもの、揺れ動かないものに頼れという。移り行くものを自分の本質にするなと」
そこがどうもしっくり行かない。最後の核心部分が薄ぼんやりしている。ゲンさんは荒野をチャリで走っている感じが近いというけど、それは思考の外だし、はっきりとその部分を聞き出したかった。
「でも、滅しないものって、一体何なんですか?インドの古典は、いい線まで行くんですが、最後の最後がぼやけていて、しっくり来ないというか、それで何回か投げ出していて。そこんところ、最後までしっくり納得できるものが、何なのかって?」
「おぉ、最後の最後が解らんだと?」
ゲンさんの声が柔らかくなって、小さくなって
「実はここだけの話だ。ワシも最後の最後を納得してるわけじゃねぇ。最後の詰めは正直空白だ。ワシのレベルではな。でもな、そこんとこは神さんの裁量だと思っている。気の利いた取り計らい。君もそう思え。ワシらが退屈しねぇようにな。おぉ、ちょっと一杯やりたくなってきた。君は付き合えるか?」
「はい、アルコールは行ける口です」
「じゃあ、部屋に戻って、ロキシー持ってくる。取っておいてたやつがある」
話に夢中になっていて、真上にあった太陽が西の丘にかかろうとしてた。街のにぎわう音はこの屋上までくると丁度いい雑音に変わっている。
「まあ、一杯やれ」
ゲンさんはネパール焼酎 ロキシーの瓶とコップをもって返ってきた。
「でも、神さんが仕組んだ謎?退屈しない為に?そりゃぁちょっと、あまりにいい加減すぎませんか?」
「おぉ、そう来ると思ってたぜ」
ゲンさんにいつもの押しの強さはなかった。
「逆にな、正解があったら、窮屈だと思わねぇか?皆が自分の人生に快諾して、すきっりしてて、迷いがなくて、そんな世界、想像つかねぇだろう。そりゃ、気持ち悪いぜ。それよか、人々が悩み、もがき、切磋琢磨して、そこから沸き上がるどろどろした活気だ。だから、人生おもしれぇんだ。だから、世界が杓子定規じゃ、つまらねぇろ。最後の最後はブラック・ボックスだ。人間は想像力豊だからな、退屈しねぇようにしたんだ。それを見込んで仕組んだのさ。誰か知らなぇけどな」
「最後の最後はブラック・ボックスですか?まいるなぁ。でも、ゲンさんがどっしりと構えていられる訳をちょっと分かったような、そんな気がします。なんか、うまく逃げられたなぁ」
「おぉ、うまく逃げただと?そう来たか。そうか。そりゃぁ、残り時間の違いもあるか」
「残り時間の違いって?」
「おぉ、オレはもうリタイヤ組だ。傍観者だ。悪いがな。君のように、前線でナタを振ることもない。だから、こうやって、日なたぼっこだ。あと死ぬまで日なたぼっこ」
「えぇ、ほんとに?それで悔いはないのですか?」
「性格悪りぃな、日本のチャリダは。避けられないことを嘆くものではない。さっき、君に伝えたところだ」
「覚悟ですね。そうなんだ」
「おぉ、何を納得している」
「覚悟ということ」
少し沈黙があった。
「覚悟した目をしているだろうが?」
ゲンさんはそういって、遠い方向に目をやった。
「何のことですか?」
私には見当が付かなかった。
「スワヤンブナートの仏塔だ。死ぬまでにはあんな目つきになりたい」
ゲンさんは少し寂しそうにいった。
「はい、いい目です」
それっきり、ふたりとも黙りこんでしまった。日本人宿の屋上は、爽やかな風が流れている。カトマンズ盆地は夕陽が西の丘に掛かり、ちょうどスワヤブナートの丘を赤く照らしている。夕陽を見ながら、ふたりの男が、だまって酒を組み合わしていた。
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