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旅の風景 スワヤンブナートの瞳4
冬のヒマラヤを自転車で走った。そんな旅は体が悲鳴をあげる。正直、命がすり減る。それとは反対に、魂が変わってくる。ゆで卵の殻をむいたようにツルツルとなって輝き始める。これまでの世界とは別ものに見え、すごみが出る。透徹した静けさの中で、世界と自分が呼応する。不思議な高揚感でこころが満たされる。


命をつなぎ留めるだけの営みは、1ヶ月すれば体がボロボロだ。ヒマラヤの峠を越え、長旅族の楽園カトマンズで弱った体を休めていた。

昼食を済ませ、日本人宿の階段を素足で上がると、カトマンズの街が見晴らせる。屋上には吹きさらしの屋根にベンチがあり、日本のオジさん、ゲンさんが座っていた。

ちらりと見た目は鋭かったが、すぐに人懐っこい顔に変わった。どこかで見覚えがある。

“あ、フーテンの寅さんだ”と思った。

さすがに腹巻はしていないが、着こなしが荒っぽくて、つやっぽい。話をすると不思議な教養があった。

話はなぜか正義の話から執着の話となっていた。

 スワヤンブナートの瞳1 → 旅の風景16

 スワヤンブナートの瞳2 → 旅の風景17

 スワヤンブナートの瞳3 → 旅の風景18

ヒマラヤ峠
ヒマラヤの峠越え

「ゲンさんは“執着を捨てよ”というけど、ほんとに執着とか欲望とか捨てたら、それはもう自分ではなくなってしまうような、なんか綿菓子のような存在です。自分が自分でなくなっては、もとも子もないというか、そんなのいやだし、おかしいです」

ゲンさんは一瞬目が輝いて、
「学校ではしきりに個人主義を教えるがな、あれは誤りだ。そう思え。たとえば、20年前に自分と今の自分とが同じと思えるか?そう思う者は少ねぇ。流れゆく時間が時代を変え、人も変えてゆく。人は信念とか信条とかいっても、揺れ動き、移ろいでゆく。あてになんねぇ。問題はな、そうでないもの、滅しないものを感じれるかだ。それで大きく道がかわる」

「えぇ、滅しないものって?」

「揺れ動いたり、移ろうことがないもの。人間の信念とか信条とか、千年単位で見れば、まるで別物だ。そうでないもの。感覚器官が雑音ばかりを捉えていると、まるでだめだ。感じ取ることができなぇ。微細なようで、圧倒的なエネルギーでもあり、存在そのものというか、そこんところは、言葉は限界がある。おぉ、君は自転車で荒地を走るから、なんとなく分かんねぇか?」

私はつい2・3日前まで極寒地獄でチャリをこいでいたから、忘れるわけがなかった。
「そういえば、無人地帯を2・3日走り続けると、何かが変わります。肉体がヒイヒイいい出して、命がともし火ほどに思えて、腹が据わってきて、こころがどっしりとして来ます。満たされるというか、照らされるというか、えもいわれぬ幸福感があります」

「おぉ、それだ。分かってるじゃねぇか。“それをよりどころとせよ”とインドの古典はいう。それは人間がある以前から変わることがない。感覚器官が偽物ばかり捉えていると、感じ取ることが出来ねぇ。普通は姿勢を正し、呼吸を制御して感覚器官を切り離す。命掛けで荒野をチャリで走らなくてもいい」

「そんな風に冷やかさなくたって。でも、そう解説されると、まんざらじゃないです」

「おぉ、何もならねぇのに、命がけでそんなことする奴は中毒だ。命がけ中毒、サバイバル狂信者だ。それでしか、滅しないものと出会えないと思って、ねぇか?」
ゲンさんは普通の顔でいった。

「また、きついことを、言いますね」

「おぉ、許せ、老婆心だ」

「あの乾き切っていて、とこまでも孤独で、それでいて満ち足りていて、透徹した感覚がね、たまらんのです。それでついついです」
私は照れながら解説した。

「まぁ、ほどほどにな」
ゲンさんはなだめるように語った。

私はゲンさんの言葉をかみ締めていた。でも、この現代にインドの古典的な生き方をするのは妙だ。そもそも、稀有な体験が違うレベルに行けても、日常はただの日常だ。ある程度息を殺し、自分を押さえる日々、その区別に違和感を感じて尋ねた。


パクタプル
パクタプルの広場で

「なら、日常の行為をどう考えたらいいのですか?正直、時には何もかもを投げ出したくなります。そうならないために、このチャリの旅は息継ぎです。窒息しないために、日常に押しつぶされないために、それなのにゲンさんは重苦しい日常の中に輝きがあるって?」

「おぉ、だから奴らの個人主義はダメだ。そんなもん信じちゃなんねぇ。インドの古典ではな、自己を三つの成分に分ける。三つの成分、知ってるか?」

「いいえ、全く」

「おぉ、なら説明するが、一番下は無知だ。世の中の道理や仕組みが分かんねぇと、猜疑心と劣等感が先に立つ。それが心を覆ってしまい、憎しみや怒りが沸き起こる。その中身は迷いと不安が作る乱れだ。相手にもその乱れが伝わり、またそれがはね返ってくる。悪い循環が止まることがない。無知は本当に恐ろしい。回りを見渡せばいるだろう?そして、その次は執着だ」

「執着?」

「おぉ、これは根深い。君は”日常がいやで仕様がない”といった。これも執着だ。“自分はこんなことをするために、いるのではない。もっと役に立って、カッコ良くて、そんなことのためにある”と思っている。そういう執着だ。違うか?」
ゲンさんはニヤリとした。

「いや、それって、誰でも抱いてることだし、当たり前のことだし、逆にそれが無い人っているのかなぁ」
私はしどろもどろで反論した。

「おぉ、個人攻撃じゃねぇ。自覚はあるのかって聞いている」

「まあ、それが執着だという自覚は無かったですが、でも、自分がやらなくっても、誰かがやると思うと、意欲もわかないし、一個の歯車じゃ、つまんないというか、そこんとこ、どう考えたらいいかって?」

「おぉ、ワシらひとりひとりは部分でしかねぇ。総理大臣だってそうだ。最高権力者なのに、ひとつの取り決めさえ覆せねぇ。何とか基地のことだ。過信なのか勘違いなのか、まるで強くねぇ」

「そうかなぁ、そんなもんかなぁ」

「この社会をひとつの身体に例えると、君は一本の筋肉だ。小指の筋肉としよう。小指が動かなくっても、当面はやって行ける。でもな、あんまり働かないとどうなる?他の筋肉はどう感じるか?」

「そりゃ、良いふうには感じないです」

「この世界は行為でつながっている。夢想しても何も変わんねぇ。だから肉体を持つ以上、行為をおろそかにできねぇ。インドの古典はいう。君の役割は役割でしかない。本質とは違う。だから、部分としての両分をこなせと」
ゲンさんは丁寧に説明してくれた。

それでも私は納得できなかった。
「でも、役割は役割でしかないって言われても、実際に意思をもって向わないと行為にならないし、その意思を決めるのは自分自身だし、」

「おぉ、それが学校で教えるデタラメ個人主義だ。その意思は無いものと思え。そんな意思は泡だ。揺れ動き移ろいでゆく。泡の中は執着だ。そんなもん信じるな」
ゲンさん節の再来だ。

私は少しへりくだって
「えーと、すいません、もう少し分かりやすくお願いします」

スワヤンブナートの瞳
スワヤンブナート カトマンズ

急にゲンさんのトーンが下がって、優しくなって、
「おぉ、執着と自己とを混同してはいねぇか?そこんとこを良く考えてみねぇ。少し前に、カッカしてたこと、憎しみで夜も寝れなかったこと、それは本当に自分か?日々の流れゆく感情はただの泡ではないのか?まあ、人のことはいえねぇ、どうもこの話になると、学校で教えられたことが今でもムカムカしてな。彼らのお陰でどれだけのこの人生遠回りを強いられたか。今でも行ってドツイてやりてぇ。まあ、これが一番下の無知の自己だ」
ゲンさんの声がか細くなっていた。

私は励ますように
「執着と無知はひとまず置いて、三つ目は?」

「おぉ、最後は純真だ。これは何ともぶつからねぇ。素直なこころだ。憎しみや怒りなど透過してしまう。平等に根ざしている。執着をも乗り越えている。だだ、幸福志向と知識欲が残っているという。けどな、インドの古典はこれにも頼るなという。深いだろうが。このレベルは欧米流の理性とか理念に近いのかも知れん」

「と、いうと」

「おぉ、これも滅して行くからな、そうではないもの、揺れ動かないものに頼れという。移り行くものを自分の本質にするなと」

そこがどうもしっくり行かない。最後の核心部分が薄ぼんやりしている。ゲンさんは荒野をチャリで走っている感じが近いというけど、それは思考の外だし、はっきりとその部分を聞き出したかった。 

「でも、滅しないものって、一体何なんですか?インドの古典は、いい線まで行くんですが、最後の最後がぼやけていて、しっくり来ないというか、それで何回か投げ出していて。そこんところ、最後までしっくり納得できるものが、何なのかって?」

「おぉ、最後の最後が解らんだと?」

ゲンさんの声が柔らかくなって、小さくなって
「実はここだけの話だ。ワシも最後の最後を納得してるわけじゃねぇ。最後の詰めは正直空白だ。ワシのレベルではな。でもな、そこんとこは神さんの裁量だと思っている。気の利いた取り計らい。君もそう思え。ワシらが退屈しねぇようにな。おぉ、ちょっと一杯やりたくなってきた。君は付き合えるか?」

「はい、アルコールは行ける口です」

「じゃあ、部屋に戻って、ロキシー持ってくる。取っておいてたやつがある」

話に夢中になっていて、真上にあった太陽が西の丘にかかろうとしてた。街のにぎわう音はこの屋上までくると丁度いい雑音に変わっている。


「まあ、一杯やれ」
ゲンさんはネパール焼酎 ロキシーの瓶とコップをもって返ってきた。

「でも、神さんが仕組んだ謎?退屈しない為に?そりゃぁちょっと、あまりにいい加減すぎませんか?」

「おぉ、そう来ると思ってたぜ」
ゲンさんにいつもの押しの強さはなかった。

「逆にな、正解があったら、窮屈だと思わねぇか?皆が自分の人生に快諾して、すきっりしてて、迷いがなくて、そんな世界、想像つかねぇだろう。そりゃ、気持ち悪いぜ。それよか、人々が悩み、もがき、切磋琢磨して、そこから沸き上がるどろどろした活気だ。だから、人生おもしれぇんだ。だから、世界が杓子定規じゃ、つまらねぇろ。最後の最後はブラック・ボックスだ。人間は想像力豊だからな、退屈しねぇようにしたんだ。それを見込んで仕組んだのさ。誰か知らなぇけどな」

「最後の最後はブラック・ボックスですか?まいるなぁ。でも、ゲンさんがどっしりと構えていられる訳をちょっと分かったような、そんな気がします。なんか、うまく逃げられたなぁ」

「おぉ、うまく逃げただと?そう来たか。そうか。そりゃぁ、残り時間の違いもあるか」

「残り時間の違いって?」

「おぉ、オレはもうリタイヤ組だ。傍観者だ。悪いがな。君のように、前線でナタを振ることもない。だから、こうやって、日なたぼっこだ。あと死ぬまで日なたぼっこ」

「えぇ、ほんとに?それで悔いはないのですか?」

「性格悪りぃな、日本のチャリダは。避けられないことを嘆くものではない。さっき、君に伝えたところだ」

「覚悟ですね。そうなんだ」

「おぉ、何を納得している」

「覚悟ということ」

少し沈黙があった。
「覚悟した目をしているだろうが?」
ゲンさんはそういって、遠い方向に目をやった。

「何のことですか?」
私には見当が付かなかった。

「スワヤンブナートの仏塔だ。死ぬまでにはあんな目つきになりたい」
ゲンさんは少し寂しそうにいった。

「はい、いい目です」

それっきり、ふたりとも黙りこんでしまった。日本人宿の屋上は、爽やかな風が流れている。カトマンズ盆地は夕陽が西の丘に掛かり、ちょうどスワヤブナートの丘を赤く照らしている。夕陽を見ながら、ふたりの男が、だまって酒を組み合わしていた。

関連記事 → 旅の風景12 ペルセウス座流星群4
| 旅の風景 | 12:14 | comments(3) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
旅の風景 スワヤンブナートの瞳3
冬のヒマラヤを自転車で越え、カトマンズまで降りてきた。命をつなぎ留めるだけの営みから、人間として生きることを取り戻していた。

とんかつ屋で昼食を済ませ、日本人宿の屋上でゆるりとしたい。コンクリートの掃き清められた階段を素足で“トントン”と上がると、日本のオジさんがベンチでくつろいでいた。

うちわでしきりに顔を扇いでいる。一見”男はつらいよ”の寅さんの雰囲気だ。話をすると不思議な教養を持っている。深すぎてついて行けない。名前はゲンさんといい、早期退職ののんびり風なのだ。

話はなぜか正義の話となっていた。

スワヤンブナートの瞳1は → 旅の風景16
スワヤンブナートの瞳2は → 旅の風景17
ヒマラヤ峠
ヒマラヤの峠越え 標高5200m付近


「正義なんてもんは、あれは道具だ。強い者が弱い者をたたく道具、いつも強い者が弱い者をたたく。強くねぇとたたけないからな。あからさまな銃より体裁がいい攻撃だ。それが正義てぇもんだ」
ゲンさんが毒づいている感じは渥美清の寅さんを思い出す。

「う〜と、そんなことをいったら、めちゃくちゃになります。人は正しい理念があって、生きて行けるのであって、正義とか平等、人類共通の理想というか、皆がそんな目標に向かっているからこそ、進歩と発展があるのであって、そんな根幹を否定するようなことは、いけません」
私はゲンさんの歯切れのいいを弁とは違い、しどろものどろな反論となっていた。

「君は学校教師のようなことを言うな。学校ではな、唯一神の理屈ばかり教え込む。ありぁ根っ子が違うんだよな。やおよろずの民にはしっくりこねぇことばかりだ。”お前には正しいことと悪いことの違いも分からんのか!”とワシは何度もどなられてきた。そんなことで人を頭ごなしに押さえつけ、人を奈落の底に落とす。苦しみや迷いをわざと背負わせてドブに落とす感じだ。ほんと今からでもトンカチであいつらの頭を“コツン,コツン”として歩きてぇ」

「そんなことしたら、連続教師殺人事件になってしまいます」
私は顔を引き締めていった。

「そりゃ、そうだがな。がっ、はぁ、はぁ」
ゲンさんの毒っぽい息が私の顔に流れ込んできた。

私はゲンさんがそのようにいう根拠が知りたかった。
「あのう、八百万(やおよろず)のための正義の手本はあるのですか?」

「おぉ、そうだな、あえて言えばパガヴァッド・ギーター(神の歌)だ。読んだことはねぇか?」

「それって、たぶんインドの昔話でしょう。昔話が正義論?少し内容を教えてもらえませんか?」


ビシュヌ神(クリシュナ)の従者、ガルーダ像 カトマンズ


「おぉ、まず場面設定がいい。主人公のアルジェナは年若き王子で、初陣(ういじん)で敵を迎え打つ。対する相手は叔父といとこたちの軍だ。親しいどころか、尊敬に値する人たちだ。心優しいアルジェナは、戦争でも彼らを殺すことなどできねぇ。もしも彼が勝ったとしても、その罪で生きていられないと考える。主人公は国を2分するお家騒動の先頭に立って戦う役割だ。過酷すぎる。究極の場面設定だ。君ならどうするか?いとこたちに剣を持って振りかかるか、それとも逃げるか?そこで神の化身クリシュナはアルジェナを説得する」

「どう説得するのですか?」

「“闘え“と。逃げたら物語にならねぇだろうが」

「そんな骨肉の争いにも正義があるんですか?それをどのように説得するのですか?」

「おぉ、その説得の内容がこの物語の全体だ」

「たとえば、どんな感じで?」

「おぉ、たとえば、王子として本領を発揮できるのは、どんな場面か?このときこそ、その好機ではないのか。こんな場面は望んでも簡単には実現しない。立派な王子として役割を果たす最高の機会だ。内外にも認めさすチャンスとなる。逃げれば一生卑怯者だ」
ゲンさんはつばを飛ばし語り始めた。

「それって、ただの押しつけのような、ホントの理由ではないような、」

「おぉ、そこは長い物語だ。そこで、神の化身クリシュナはいう。行為は無行為にまさるとな。生き続けるために行為は不可欠だ。肉体を持った身体はその役割を果たすためにある。結果を求めてはならない。ただ行為だけに専念しろという」

「行為に専念する?理由は重要じゃないのですか?」

「理由は重要ではない。”避けられないことを嘆き悲しむな”と”耐え忍べ”いう。現象世界は完全ではない。ワシらにはそれを正すことはできないと」

「えぇ、それって、社会が与える役割ならば、何をやってもいいことになりませんか?」

「おぉ、これは究極の場面設定だ。選択肢がないことだってある。それにワシらは創造主ではない。ワシら、ひとりひとりは役者だ。全体の物語を編むのは人ではない」

「あの、すいません。同じ質問になりますが、ひとりの役者だから、何をやってもいいのですか?」
私にも譲れない点はある。


早朝リンガにお供えをする少女

ゲンさんは腕を組んで少し考えた。
「否定することは簡単だろうが。“そんなのイヤだ”と投げ出すことは、誰にだってできる。社会が与える役割は一見不条理に見えて、理にかなっていることが多い。理屈を超えて流れるものがある。否定することは何時でも出来る。それを信じて”戦え”という」

「うーと、一歩譲ったとして、親戚との戦いに挑み、相手を殺して勝ったとしても、重い罪だけが残りますよ。主人公と同じように、罪の重さで生きていられないのでは?」

「おぉ、そこでインドの古典はいう。与えられた役割を生きる者は罪を招かないと」

「それじゃ、オーム真理教と同じ!です」
私はとっさに反論した。

「おぉ、そこには、カント顔負けの厳しい掟がある。知りてぇか?知りてぇだろう」
ゲンさんは朗らかにいった。

「えぇ、まあ」

「それがな、おもしろい。2千年近い時間差があるのに、カントの正義と近い」

「カントの正義に近い?どんなところがですか?」
私は身を乗り出して聞いた。

「おぉ、まず両者ともに感覚器官の世界を切り離す。幸不幸、寒暖、苦楽、損得など、五感がとらえる現象世界はうつろい易く、あてにならない。だから動かぬものが必要だ。カントは、理性があたえる義務が最高原理を導きだすとした。でもな、インドの古典はカーストの維持だ。それが社会の維持につながり、世界の安定を生む。理性が与える義務ではなく、社会が与える役割だ。それを行えば、結果がどうであれ、罪にはならねぇ。両方とも厳格な自己が決める掟を守るところが似ている」

「でも、理性による義務と階級制度の役割でしょう?似ても似つかないような、」

「3千年ちかく続いてきた制度だ。かなりの精度をもってなきゃ続かねぇ。100世代ぐらいが納得してきた制度だぜ。2・30年の個人が軽はずみに、否定などできねぇ。カントはせいぜい5・6世代だ。両方とも社会の枠組みを支えてきている」

「ふ〜ん。カント哲学とインドの古典が似ている?違いは義務と役割だけですか?」

「おぉ、そりゃ、バラモンの宗教書だからな、きな臭いものが“どっ“と詰まっとる。あとは穢れ(けがれ)かな。宗教の目的はいかに穢れを落とすかにある。哲学で穢れとか清めとか言い始めたら、即座に宗教だ」

私には言い切ってしまうゲンさんの調子はいかにもおもしろかった。
「でも、そんなに価値基準が近ければ、もっと近寄れるはずでしょう。八百万と唯一神とが。でも超えられない壁があるって、さっき」

「おぉ、大切なことを忘れてるな。インドの古典は、善も悪も一時的なものだ。正しいも正しくないもねぇ。混沌の鍋で一緒にぐつぐつだ。大差ねぇ。一神教はあれだ。そんなことしたら、砂漠でばらばらになる(二話の続き)。まとまりがつかねぇ。そんな根っ子のところが違う」

「えぇ、それじゃあ、正義も何もなくなってしまいます」

「おぉ、主人公アルジェナは最後まで正義にこだわり続ける。最後に、神の化身クリシュナが王子に語る。“力は正義にまさる”と。”正義は力から生まれる。煙が風になびくように正義は力に従う。正義には本来何の権威もない。つる草が木に巻きつくように正義は力によりかかる”と

「えぇ、それって、単に醜い現実そのものでしょう!」
私は何も考えずに言葉だけが出た。

「そう見えるのか?」
ゲンさんは余裕でかわす。

「えぇ、そう思います」

「おぉ、そうじゃねぇな」

「ならば、どう解釈するのですか?」
私は感情に流された自分を反省し、相手の話を聞く気持ちになっていた。

「それでも、生き続けるということだ。醜さ、汚らしさ、そんな生やさしいものじゃねぇ、王子は親戚の殺戮の先頭に立つ。それでも気高く王子として生きる。ワシらの苦労の比ではない。否定することは、誰にでもできる。投げ出すことは簡単だ。投げ出さずに続けること、戦争で身を汚しても、こころは王子としての気高さを保ち続ける。生きることには、その本質に残酷さや醜さを含んでいる。正義という体裁のいい代物に惑わされるなと」

「それでは、曲がったことも肯定することになりませんか?正しくないことも、うやむやにして行動することになります」

ゲンさんの顔が真剣な顔に変わって
「生き続けることは、それ自体に残酷さを含んでいる。君がこれまで、何頭分の牛を食べてきたか?何頭の豚を食らってきたのか?この屋上にそれらの命を並べたらを屋上からはみ出すぞ。その無数の命をいただき、今の君の命がある。その行為を照らし合わしたら、綺麗ごとばかりは言ってられねぇはずだ」

こちらも真剣勝負だ。
「えーと、そんな側面はありますが、でも、私たちには、やはり旗印は必要です。人は目的があるから、生きてゆけるのであって、醜い現実と、飛べない将来、それでは、悲しすぎるというか、力が出ません。夢が描ける将来と真直ぐに伸びる理想というか、そんなものが必要です」

「おぉ、なぜ、捨てようとする?古代インドでは矛盾だらけの現実も、希望という名の欲望も乗り越えることを教える。妙な旗をふる正義や私欲に右往左往する希望なんぞは、醜い現実と変わりゃしねぇ」

「えぇ、そんなぁ。それよりも、もっと高い場所?もうちょっと分かり易くいってください」

「幸も不幸もねぇ、益も損もねぇ、善も悪もねぇ、そんなもんは一時的なもんだ。川が流れるように流れ去ってゆく。川の流れに目を奪われてはなんねぇ」

「う〜と、川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。うたかたはかつ消えかつ結びて、」

「おぉ、方丈記だな。“執着と落胆、その繰り返しに終始するつもりか?“とインドの古典はいう。そんな揺れ動く川の水面(みなも)に執着してはいけない。その執着が憎しみを生み、怒りを育てる。不安で人を嘆き苦しませる」
ゲンさん節が炸裂だ。

私は話を元に戻したくていった。
「何が正しいのか、正しくないかということは、そんなには問題ではないのですか?」

「正しいか正しくないのかは、ものごとに上下関係をつけ、差別するようなものだ。世界はそんなもん関係なしに、ただ存在している。こいつは良くて、あいつは悪い。そんな作業は執着と落胆の続編だ。終わりがねぇ足の引っぱり合いだ。答えのない探求をさまよう無間地獄だ」
ゲンさん節が止まらない。

「ちょっと、待ってください。それじゃ、良い者がバカを見る社会になりませんか?悪をはびこる社会に、」
私は押されながらも、同意は出来なかった。

「人間ひとりひとりはそんなに頼りにならねぇものか?だからって、薄っぺらな正義を振り回しても、余計に悪くなるだけだろう。考えてみな、ちょっと昔には、武家諸法度の13条しか無かったんだぜ。やおよろずの民には、人を縛る法律なんぞ性にあわねぇ。無くてもやって行ける。憲法は無いとバカにされるから、必要ねぇのに作ったのは知っているだろう」

「無茶、いうんだから〜」
問題が性善説と性悪説にまで行きそうだ。それでも、私はゲンさんのいう話は、全くの的外れには思えなくなっていた。けれど、やはり受けいれがたい何かがある。

その話は次回につづく。

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