2009.01.01 Thursday
どもまで行けるか西チベットの旅
あけまして、おめでとうございます。今年も皆さまにとっていい年でありますように願います。
今年から「どこまで行けるか西チベットの旅」新しいシリーズです。
1,出発編
世界にはまだまだ禁断の地がある。禁断の地とはどんな場所が思い浮かぶだろうか?
ヒマラヤ純白の峰々、太陽が昇らない暗黒の南極、一夜して地形が変わる大砂漠、それとも貧困と混迷の北朝鮮田舎町、パキとアフガンの国境無政府地帯、はたまたアラブ富豪の門外不出、夢の花園。禁断なる理由は主に厳しい自然と混乱の政治がある。西チベットはその両方の性質を持つ特異な場所だ。
富士山頂より遥か上空、チベットでは標高が4500mを越えるあたりから家畜がいなくなる。草が生えないのだ。青く深い空とゴロタ石だけの世界になる。そういうわけで人は暮らさない。そこを旅しようとしたら、まず、涙ながらに"助けてください”と頼み込む相手がいない。そのうえ人がいないから道がない。食料がない。飲み水がない。燃料がない。暖房がない。人が居ないことは直ちにないないずくめとなる。“そんなのあたり前だろうが!”という声もあろう。実は行く前はそんな気持ちでいた。軽い腰で向かった自転車の旅は連続めちゃめちゃ拷問サバイバルであった。“これまでの悪事をここで清算しろ!”的な体罰と懺悔の旅でもあった。凶暴に怒り狂う西風にほとんど前進できない日々。こうべを垂れ、アゴを引き、歯を食いしばっても容赦がない。1時間もその風に向き合うと生きる気力がうせる。その上あたりを冷凍お仕置き場に変えてしまうどす黒い雪雲が襲ってきて気分はめちゃめちゃ灰色となる。そんな無人地帯をひとり2・3日旅するだけで「このままうっかり眠ったら白骨死体だなぁ」と超リアルに感した。そんなわけで一歩踏み外せばたちまちに「禁断の領域」となるのである。
さらにチベットでは自由旅行がご法度である。歴代のチベット自転車旅行記によれば、公安警察に捕らえられたら、頭に角があるかのごとくの警官に半日は続く尋問、いやがらせ、脅迫と最後には罰金、運が悪ければ強制送還が待っているらしい。チベット自治区内では大都市と幹線道路以外、外人旅行は原則許可が必要となる。日程が悪意むき出しジェット気流のご機嫌次第という自転車の旅に許可が下りるはずがない。許可を与える役人にとっても迷惑だけの存在だ。通常はランクルを貸切りチベットに多額の金品を落としてようやく許可が下りる。原則はそうなのでだが、黙って自転車をこいでいたら行けちゃった的なところが西チベットにはある。どうせ白い山と青い空だけの無人地帯なのだから、たまに来る外人チャリダをいじめても仕様がないと思ってくれるのか。それともただただ面倒くさいだけなのか。バックパッカ究極の目的地、聖山カイラスまで運と度胸でたどり着いたりするらしい。普通のバックパック旅行に飽き飽きした者にはそんなところがたまらんわけです。

禁断領域の分岐点
そんな適度に運任せの旅の途中、ラサで19年ぶりの動乱となった。世界は“人民政府の北京原人的石頭がまた少数民族をいじめちょる“と報じた。それ以後、あまりの検問の多さに“てめえらぁ、チベッタンたちを移動させないつもりか”と思うほど、幹線道路は解放軍の検問検問検問検問検問となった。自転車のひとり旅は幸いネパールに抜ける方向だったので拘束されることはなかったが、この時期チベッタンたちは理由がないと移動は出来ない様子だった。だから往来する車が極端に少なかった。そんな最悪タイミングで禁断の地、西チベットへ自転車で向かうには気が重く、ついついヒマラヤ峠の手間まで自転車で南下してしまった。
ひたすら前置きが長くなったが、ここからヒマラヤの気高い峰々すれすれに西に進む道をとる未知の旅の出発となった。
底冷えする4月2日の朝、中国ネパール友好道路沿い、ヒマラヤ山脈の下の村コゾゥ(Khozo標高4300m)から自転車をこぎ出した。荷物を預けた宿の主人が手を振って見送ってくれた。彼にはシシャ・パンマのベースキャンプに向かうと告げた。チョモランマに向かった時に買った国定公園の入場券がひとつポケットにあった。調べてみるとこの国定公園は以外に範囲が広く、シシャ・パンマ(標高8012m)の地域も含まれる。この周辺なら途中公安警察につかまってもこの券をみせれば何とか言い訳がたつと考えた。
正午前にはネパールに抜ける道と奥チベットへ向かう道の分岐点に立った。ここから先は外人には禁断の地、公安警察につかまったら百たたきぐらいは覚悟の旅となる。というのもまだラサの動乱から半月しか経っていないからだ。人民政府はラサの動乱が飛び火して、それが大中国の内乱となるのを恐れている。これまでの検問の状況を考えれば、この先どこまで行けるか全く希望が持てなかったし、公安警察に捕らえられたらどんな目に会うのか予測が出来なかった。そんな不安と抱えながら覚悟を決め、禁断の地に足を踏み入れた。

途中であった少年
幹線道路から脇道に入りしばらく行くと恐ろしい道に変わった。かつて氷河が削った特大ハーフパイプの谷を進んだ。途中なぜか砂漠の道となった。さらさらの砂に自転車の細いタイヤがめり込む。荷物を積んだ自転車で海岸の砂浜を進むことを想像してほしい。人間とはなんと空しい存在か。10m進んだら息が上がって自転車をほうり投げたくなる。小学生ならば100mで根を上げるだろう。快晴の空から冷たい西風が静かに頬にあっていた。

巨大ハーフパイフ、氷河が削った谷
そんなとき遠くに何か動く黒い点が見える。カラカラのチベットの大地は10km先でも容易に見渡せる。情けないことだがオレは追っ手におびえる逃亡者となっていた。逃げなければならい相手がいる。頭に思い浮かぶのは、ハイエナ公安警官。無常な解放軍鬼軍曹。どうにもいたたまれない気持ちでこちらに向かってくる黒い点に釘付けとなった。
黒い点は近づいてきて輪郭がはっきりしてきた。どうも2人乗りのバイクのようだ。でこぼこ道を上下しながらこちらに向かってくる。後ろに乗っている人は振り落とされまいと必死でしがみついている。それが冷血鬼軍曹か死神警部ならば、道なき丘を自転車を担いで駆け上がり、追っ手をふりきる必要があったが、どうもそうではなさそうだった。
「タシデレ(こんにちは)」
バイクで走り去ろうとする若いふたり組みに声をかけた。先を急いでいる様子だったがバイクに乗ったまま砂の道でとまってくれた。この時期、特別な用事がない限りチベッタンは移動ができないはずだ。いくつもの検問を突破して来たのか。運転手のほうは革ジャン風のジャケットを荒っぽく着こなしている。快活なひとみとちゃめっけのある顔を向けてこちらを見ている。オレはふと「チベットの坂本竜馬かもしれない」と思った。チベットの解放を求めて奮闘している姿を想像したが、いかんせんチベット語がしゃべれないので確かめようがない。
日本人はチベット通でない限りチベットの歴史を知らない。さしずめ今のチベットは日本の「安政の大獄」にたとえられる。井伊直弼が尊王攘夷派をとらえて処刑したやつ。亡命政府の情報によると、人民政府の統治が始まってから、通算でチベット人の10人に1人は当局に捕らえられてそのまま音信不通となっているという。たとえば狭い町内で向かいの○○さんと角の□□さんが解放軍に連れていかれ帰ってきていない、というような状況らしい。安政の大獄では日本人が日本人を投獄したが、ここでは別の民族がチベット族を連行している。
その上、ラサの大寺院はこの時点で閉鎖、不穏分子とされた僧侶たちは投獄されたと聞いた。信長が比叡山を焼き討ちしたぐらいのことをこの現代にやっているのだ。
控えめにいっても、オレがチベッタンだったら血液が沸騰する。
日本のマスコミは石頭政府の配信したチベッタンの暴力場面だけをテレビで放映しているが、それでは誤解をまねく。解放軍兵士がチベット僧侶のデモ隊にバンバンしているところを流すべきだ。
オレはチベットの竜馬と握手した。意外と温かい手だった。直ぐに青年はキラキラした目を前方に向け、バイクのアクセルをふかした。その姿が遠くなるまで見送った。
つづく。
今年から「どこまで行けるか西チベットの旅」新しいシリーズです。
1,出発編
世界にはまだまだ禁断の地がある。禁断の地とはどんな場所が思い浮かぶだろうか?
ヒマラヤ純白の峰々、太陽が昇らない暗黒の南極、一夜して地形が変わる大砂漠、それとも貧困と混迷の北朝鮮田舎町、パキとアフガンの国境無政府地帯、はたまたアラブ富豪の門外不出、夢の花園。禁断なる理由は主に厳しい自然と混乱の政治がある。西チベットはその両方の性質を持つ特異な場所だ。
富士山頂より遥か上空、チベットでは標高が4500mを越えるあたりから家畜がいなくなる。草が生えないのだ。青く深い空とゴロタ石だけの世界になる。そういうわけで人は暮らさない。そこを旅しようとしたら、まず、涙ながらに"助けてください”と頼み込む相手がいない。そのうえ人がいないから道がない。食料がない。飲み水がない。燃料がない。暖房がない。人が居ないことは直ちにないないずくめとなる。“そんなのあたり前だろうが!”という声もあろう。実は行く前はそんな気持ちでいた。軽い腰で向かった自転車の旅は連続めちゃめちゃ拷問サバイバルであった。“これまでの悪事をここで清算しろ!”的な体罰と懺悔の旅でもあった。凶暴に怒り狂う西風にほとんど前進できない日々。こうべを垂れ、アゴを引き、歯を食いしばっても容赦がない。1時間もその風に向き合うと生きる気力がうせる。その上あたりを冷凍お仕置き場に変えてしまうどす黒い雪雲が襲ってきて気分はめちゃめちゃ灰色となる。そんな無人地帯をひとり2・3日旅するだけで「このままうっかり眠ったら白骨死体だなぁ」と超リアルに感した。そんなわけで一歩踏み外せばたちまちに「禁断の領域」となるのである。
さらにチベットでは自由旅行がご法度である。歴代のチベット自転車旅行記によれば、公安警察に捕らえられたら、頭に角があるかのごとくの警官に半日は続く尋問、いやがらせ、脅迫と最後には罰金、運が悪ければ強制送還が待っているらしい。チベット自治区内では大都市と幹線道路以外、外人旅行は原則許可が必要となる。日程が悪意むき出しジェット気流のご機嫌次第という自転車の旅に許可が下りるはずがない。許可を与える役人にとっても迷惑だけの存在だ。通常はランクルを貸切りチベットに多額の金品を落としてようやく許可が下りる。原則はそうなのでだが、黙って自転車をこいでいたら行けちゃった的なところが西チベットにはある。どうせ白い山と青い空だけの無人地帯なのだから、たまに来る外人チャリダをいじめても仕様がないと思ってくれるのか。それともただただ面倒くさいだけなのか。バックパッカ究極の目的地、聖山カイラスまで運と度胸でたどり着いたりするらしい。普通のバックパック旅行に飽き飽きした者にはそんなところがたまらんわけです。

禁断領域の分岐点
そんな適度に運任せの旅の途中、ラサで19年ぶりの動乱となった。世界は“人民政府の北京原人的石頭がまた少数民族をいじめちょる“と報じた。それ以後、あまりの検問の多さに“てめえらぁ、チベッタンたちを移動させないつもりか”と思うほど、幹線道路は解放軍の検問検問検問検問検問となった。自転車のひとり旅は幸いネパールに抜ける方向だったので拘束されることはなかったが、この時期チベッタンたちは理由がないと移動は出来ない様子だった。だから往来する車が極端に少なかった。そんな最悪タイミングで禁断の地、西チベットへ自転車で向かうには気が重く、ついついヒマラヤ峠の手間まで自転車で南下してしまった。
ひたすら前置きが長くなったが、ここからヒマラヤの気高い峰々すれすれに西に進む道をとる未知の旅の出発となった。
底冷えする4月2日の朝、中国ネパール友好道路沿い、ヒマラヤ山脈の下の村コゾゥ(Khozo標高4300m)から自転車をこぎ出した。荷物を預けた宿の主人が手を振って見送ってくれた。彼にはシシャ・パンマのベースキャンプに向かうと告げた。チョモランマに向かった時に買った国定公園の入場券がひとつポケットにあった。調べてみるとこの国定公園は以外に範囲が広く、シシャ・パンマ(標高8012m)の地域も含まれる。この周辺なら途中公安警察につかまってもこの券をみせれば何とか言い訳がたつと考えた。
正午前にはネパールに抜ける道と奥チベットへ向かう道の分岐点に立った。ここから先は外人には禁断の地、公安警察につかまったら百たたきぐらいは覚悟の旅となる。というのもまだラサの動乱から半月しか経っていないからだ。人民政府はラサの動乱が飛び火して、それが大中国の内乱となるのを恐れている。これまでの検問の状況を考えれば、この先どこまで行けるか全く希望が持てなかったし、公安警察に捕らえられたらどんな目に会うのか予測が出来なかった。そんな不安と抱えながら覚悟を決め、禁断の地に足を踏み入れた。

途中であった少年
幹線道路から脇道に入りしばらく行くと恐ろしい道に変わった。かつて氷河が削った特大ハーフパイプの谷を進んだ。途中なぜか砂漠の道となった。さらさらの砂に自転車の細いタイヤがめり込む。荷物を積んだ自転車で海岸の砂浜を進むことを想像してほしい。人間とはなんと空しい存在か。10m進んだら息が上がって自転車をほうり投げたくなる。小学生ならば100mで根を上げるだろう。快晴の空から冷たい西風が静かに頬にあっていた。

巨大ハーフパイフ、氷河が削った谷
そんなとき遠くに何か動く黒い点が見える。カラカラのチベットの大地は10km先でも容易に見渡せる。情けないことだがオレは追っ手におびえる逃亡者となっていた。逃げなければならい相手がいる。頭に思い浮かぶのは、ハイエナ公安警官。無常な解放軍鬼軍曹。どうにもいたたまれない気持ちでこちらに向かってくる黒い点に釘付けとなった。
黒い点は近づいてきて輪郭がはっきりしてきた。どうも2人乗りのバイクのようだ。でこぼこ道を上下しながらこちらに向かってくる。後ろに乗っている人は振り落とされまいと必死でしがみついている。それが冷血鬼軍曹か死神警部ならば、道なき丘を自転車を担いで駆け上がり、追っ手をふりきる必要があったが、どうもそうではなさそうだった。
「タシデレ(こんにちは)」
バイクで走り去ろうとする若いふたり組みに声をかけた。先を急いでいる様子だったがバイクに乗ったまま砂の道でとまってくれた。この時期、特別な用事がない限りチベッタンは移動ができないはずだ。いくつもの検問を突破して来たのか。運転手のほうは革ジャン風のジャケットを荒っぽく着こなしている。快活なひとみとちゃめっけのある顔を向けてこちらを見ている。オレはふと「チベットの坂本竜馬かもしれない」と思った。チベットの解放を求めて奮闘している姿を想像したが、いかんせんチベット語がしゃべれないので確かめようがない。
日本人はチベット通でない限りチベットの歴史を知らない。さしずめ今のチベットは日本の「安政の大獄」にたとえられる。井伊直弼が尊王攘夷派をとらえて処刑したやつ。亡命政府の情報によると、人民政府の統治が始まってから、通算でチベット人の10人に1人は当局に捕らえられてそのまま音信不通となっているという。たとえば狭い町内で向かいの○○さんと角の□□さんが解放軍に連れていかれ帰ってきていない、というような状況らしい。安政の大獄では日本人が日本人を投獄したが、ここでは別の民族がチベット族を連行している。
その上、ラサの大寺院はこの時点で閉鎖、不穏分子とされた僧侶たちは投獄されたと聞いた。信長が比叡山を焼き討ちしたぐらいのことをこの現代にやっているのだ。
控えめにいっても、オレがチベッタンだったら血液が沸騰する。
日本のマスコミは石頭政府の配信したチベッタンの暴力場面だけをテレビで放映しているが、それでは誤解をまねく。解放軍兵士がチベット僧侶のデモ隊にバンバンしているところを流すべきだ。
オレはチベットの竜馬と握手した。意外と温かい手だった。直ぐに青年はキラキラした目を前方に向け、バイクのアクセルをふかした。その姿が遠くなるまで見送った。
つづく。






